秦梨の史跡(聖洞寺)
し ょ う ど う じ
聖洞寺
才栗町字上屋敷地内にある。以前は同村字黍生にあった。額田郡誌によると,「河合村大字才栗にあり。真宗専修寺派の寺なり。永和4年(1378)3月27日の創建にして,開山を慶雲という。後,元禄9年(1696)5月2日,11世義辨の時再建する。三河志に「栗木村黍生山聖洞寺開山慶雲永和年間江州濱島の郷よりここへ移住す。始め中山庄聖山の麓に至り,自然と黍の生えるを見,このところへ一寺を創造して山号とす。高田宗岡崎満性寺末なり。廣忠公の臣,近藤作左衛門香花の地なり」とある。 天文8年(1539)失火の時,近藤氏が再建する。その後,高木主水浄土三部経を寄付する。「泰親公が当国須渕の郷に来たりしとき,先住慶林御飯依山林茶畑御寄付,その後田中兵部少輔岡崎在城のとき,削客せらる。本多豊後守,又先規の如く寄付あり。鐡性院殿,後入府御検地の節,御年貢地となる」。昭和11年(1936)9月,9代住職義空により現在地(才栗町上屋敷)聖洞寺出張所を開設,その後,21代住職の義教が昭和34年(1959)4月,本堂を建立した。 |
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登録日: 2020年5月13日 /
更新日: 2020年5月14日