秦梨の史跡(須佐之男神社)
す さ の お じ ん じ ゃ
須佐之男神社
秦梨町奴田に,銅ぶきの素晴らしい社殿の須佐之男神社がある。最初は乙川河畔に祀られていたが,大正年間ここに移された。正面の石段は103段で,東入□の鳥居は平地内にあった時代のものである。この神社の創建時代については不明であるが,かなり古い創設であるようである。舊記に日く「永正14年(1517)7月,大屋川洪水のことあり。天王社宮崎の郷より漂着し来たりてこの地にいたる。故に,生土神として勧請す。 その後天文13年(1544)6月,粟生将監永信再建する」とある。須佐之男神社は須佐之男命をお祭りしたものである。出雲神話に出てくる川の伝説を基盤にしたふしがある。そのためか,須佐之男神社は,川の流域に分布している。ヤマタノオロチ退治の伝説は,出雲の国,肥の川上流の鳥髪といわれている。鳥髪山の山裾に,日立金属の木炭焼きの工場跡があることから,ここに金屋子神が祀られている。ヤマタノオロチは,退治されたその尾から,剣が出たということから,タタラ豪族(タタラ師は砂鉄採集者,鍛冶業者〕を意味する。乙川流域に花崗岩質の砂鉄の産出がみられることから,須佐之男命をお祭りしたものと思われる。この地の上流には鍛冶師が在住していたという記録が残されている。 |
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登録日: 2020年5月13日 /
更新日: 2020年5月14日