ど う ら く さ ん じ ん と く ひ
同楽山人と句碑

 秦梨町字灰畑地内に,同楽山人の旧屋敷がある。この屋敷は,もと,字神谷地内の県道脇にあったが,県道拡幅のため,この地に移築された。
荒川同楽氏は,95年の生涯の大部分を,秦梨の里に過ごされ,医師として,俳人として素晴らしい業績を残された。河合の里の2小学校に校医として50余年に渡って勤務された。俳人としては,60余年にわたって到達された句境は,誠に特異,三河は勿論のこと,広く県外にまで,俳人同楽,文人同楽の名を轟かせたとうかがっている。
また,小学校の卒業式には,必ず参加され,卒業生にはなむけの言葉を贈られるとともに漢和辞典を贈与し,生涯学習の礎を植えつけられた。いまだにその漢和辞典を使用しているお年寄りがかなりみえると聞く。次に,同楽山人の句を一,二あげる。
  • ものいわでうなづく癖や入学児
  • 鉢取れば白い小草の萌えてある
  • 元朝や障子戸越しに雪の山
  • 秋風や山居楽しむ我にして
  • 神橋にたつや清みの青あらし
  • 平然と愚を守りきていまの春

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