秦梨の史跡(神明宮(岩戸城跡))
し ん め い ぐ う い わ と じ ょ う あ と
神明宮(岩戸城跡)
岩戸町字橋詰地内に神明宮が祀られている。祭神は,天照皇大神,天児屋根命,手力男命である。創立は不詳。明治11年(1871)2月,苔丸社祭神天児屋根命,および岩戸社祭神手力男命を,岩戸村字大久後より社殿に移転する。大正2年(1913)5月7日,許可を得て,合殿した苔丸社および岩戸社を合祀するとある。境内の舞台は,回り舞台が備わっていて,歌舞伎が演じられていたそうである。本殿には村歌舞伎の奉納額が掛けられている。 岩戸城は,岩戸町字橋詰地内の,現在の神明宮地内に存在していたともいわれている。確かな記録は残っていない。岩戸城は,「天野左衛門佐遠貞以来ノ住居ナリ。天野麦右衛門正景,天野小麦右衛門重次ここより出づる」とある。両人は,岩戸村の郷士天野正重の子で,家康の吉田城攻めで武勲をあげた。後,麦右衛門は三方が原の戦いで戦死,小麦右衛門の子が養子となって天野家のあとを次ぎ,岩戸村90石を安堵されたが,後,幕府領となった。 |
<秦梨の史跡に戻る>
登録日: 2020年5月13日 /
更新日: 2020年5月14日