高学年の総合(ひのき)の時間に、額田の風土記『給食の陰に』を勉強しました。

旧千万町小学校では昭和31年から7年間、保護者が当番制で給食用のパンを宮崎から千万町まで歩いて運んでいました。

当時は車の通れる道が整備されておらず、給食に間に合わせるために、朝早く千万町を出発し、

60~70人分のパンを背負って千万町坂を登っていたそうです。

大変な苦労をして、保護者が給食を支えていたと知り、子供たちはとても驚いていました。

旧千万町小学校には、今でも「パン運搬当番」の当番表が大切に保管されているそうです。