ここ六ッ美の地は、かつては碧海郡に属し、のどかな田園地帯であった。ところが、昭和37年に岡崎市に合併し、急激な人口増加により、六ッ美中学校は生徒数が1500名を超える県下でも有数のマンモス校となり、平成4年には、六ッ美北中学校が新設され、分離独立をした。そして、現在の六ッ美中学校区は六ッ美南部小学校区と六ッ美中部小学校区である。その南部小学校区には新興住宅が建ち並び、人口も急増し、都市化へと様変わりをしてきている。また、中部小学校区は人口の増減も少なく、三世代の家庭(約72%)が多い農業地域であるが、フタバ産業・マキタなどの工場誘致により、少しずつ都市化の傾向を示してきている。

 しかしながら、歴史ある土地柄だけに昔からの風習が今に残り、南部・中部両学区共に春・秋の祭礼は、にぎやかに催される。なかでも、中島町の八幡社で毎年盛大に行われる「悠紀斎田祭り」は昭和41年に市無形文化財に指定されており、特に有名である。

 また、六ッ美4校(中学校、南部小、中部小、北部小)は、昭和50・51年度に文部省(現 文部科学省)の道徳教育の研究指定を受け、地域一体、小中関連を基盤にして道徳の共同研究を推し進めた。そして、平成20・21・22年度、岡崎市教育委員会の委嘱を受け、「生き生きと学び合う生徒の育成」‐活用する力を育む授業づくり‐をテーマに研究発表会を行った。